つれづれなるままに、日暮し、パソコンにむかひて
オーラソーマのボトルについて気まぐれに綴らむ.....
さて今回のボトルは.....
「幸せってなんだっけ、なんだ〜っけ?」
高校の頃。
一度父にひっぱたかれたことがある。
理由は・・・ わたしの『汚部屋』! (爆)。
当時ファーストフード店でバイトをしていたわたしは、登校する前にオープンの作業のため始発に乗りバイト先へ行き、作業が終わるとトイレで制服に着替えて学校へ。
授業が終わると、またバイト先へ直行し、夜10時まで働く・・・、という今では考えられない生活。
とにかく、疲れていたのもあるのだけれど、部屋の掃除がめんどくさくて、制服は脱いだら脱ぎっぱなし。
本は読んだら読みっぱなし。
教科書や食べたお菓子のゴミが散乱。
片付けがまるで出来なかった。
で、「部屋を片付けなさい」と怒られていたのだが、家には寝に帰るだけだったわたしはまるで掃除をするつもりがなかった。
それで返事をしなかったところ、引っぱたかれた。
父はやおら紙を取り出して、長方形を書いた。
「いいか? 人間の幸せの量って決まっているものなんだ。
ゆうこのように今楽しているっていうことは、こういうことなんだ」 と言いながら、長方形の左上角から右斜め下に向かって線を結ぶ。
「ゆうこのように若いうちに楽したり、だらしないことをしていると、年をとってから苦労をしなければならない」
「でも、今苦労をしておけば、年をとってから幸せがやってくるんだよ・・・・・」
う〜〜〜ん。
言っていることは分かるのですが・・・。
「ぢゃ、パパは今幸せ?」
そう問いかけたいのを、ぐっと飲み込んだ。
それから何年も経って。
わたしはインドへ向かった。
飛行機がカルカッタ(コルコタ)空港に向かって降下する。
飛行機からカルカッタの街を眺めたのだが・・・・く、暗い!!
インドの大都市のはずなのに、灯が少ない!
空港から一歩出ると、タクシーの運ちゃんにはリュックをひっぱられ、物乞いの人たちからは「バクシーシ!」とあちらこちらから手が出されもみくちゃにされ・・・・。
インド独特の洗礼を早々に受けてしまった (笑)
それでもなんとかタクシーに乗り込み、「地球の歩き方」を頼りに 安宿街のサダルストリートへ向かう。
タクシーから降りて安宿へ向かう途中もやはり暗い。
目を皿のようにして足元を見ながら歩く。
すると前方に 犬が5匹程道端に寝そべっていた。
「インドの犬は殆どが狂犬病って言うから、気をつけなくっちゃ!」と思いながら歩いていると・・・・・。
な、なんとっ!! それは人だったのだ!!
5人が道端に道をふさぐように寝そべっていたのだった。
「アタシ、絶対日本に帰る!!」
心の中で絶叫した。
翌朝、朝ごはんを食べにホテルの外に出た。
夕べ犬と間違えた人達は、家族のようだった。
その家族はその道っぱたで 「大」をしていた。
「〜〜〜〜〜〜!!!!」
また心の中で絶叫した。
朝ごはんを済ませ、ホテルに戻る途中またあの家族に会った。
一人が今朝したトイレの後を、ほうきの材料の棕櫚(しゅろ)というのだろうか?、それを束ねたもので掃いている。
その傍では母親が朝食の用意をしているのか煮炊きをし、その周りを子どもと父親らしき人が取り囲んでいる。
その光景を見た時、立ちすくんでしまった。
衝撃を受けてしまった。
わたしには、その光景は「家族の団欒」に見えた。
今まで頭で考えていた「インドは貧しい人が多く、不幸な国」とか、「日本はインドよりも恵まれているから感謝をしなければいけない」というような考えが、いかに身勝手だったのかを知った。
何が「幸せ」かなんて、本当に解らない・・・・・・。
わたしがこのインドという国をもっと見てみたい!と思った瞬間だった。
帰国してから何年も経ってから、また「幸せ」について考える事件が起きた。
「オーラソーマ日記 オリーブグリーン ポマンダー」
わたしはますます「幸せ」が解らなくなった。
でも、何が自分にとって「幸せ」ではないのか、ということは少なくとも解ってきたようだ。
それからさらに何年も経って。
横浜の怪しい教祖のところでもまた幸せってなんぞや?という話になる。
教祖も昔勤め先で「幸せってなんぞや?」という話をしていたらしい。
結局のところ答えは出なかったのだけれど、教祖と内観の先生の違いは「自分の体験」を語っていた、ということ。
そうなんだよ。
どんなに頭で解っていても、体験が伴わなければ伝わってこない。
今年の1月、父が入院した。
つい二週間前にごんちゃんのところへ行き、帰りには中華料理を食べて帰った程元気だったのに。
病院にかけつけると、息遣いが荒く、「苦しい、苦しい」と言う。
手にはグローブをはめられていた。
点滴や酸素のチューブをすぐに外してしまうらしい。
何度も「グローブを外してくれ」と言う。
外してあげたい。でも・・・・・・・。
ここは病院だから勝手には外せないよ・・・・・。
何度も何度も懇願する父の顔を見て、看護士さんに頼んでわたしがいる時だけ外してもらった。
わたしは高校生の時の父との会話を思い出した。
幸せについて図に描いて説明していたじゃない。
こんなのおかしいよ・・・・と思うわたしと、冷静にドリームウォークの話を切り出すタイミングを見ているわたしがいる。
もう病院はいやだ。
点滴をして、酸素チューブをして、グローブをして、本当に治るのだったら 「病気を治すために我慢して」と言える。
でも治らないのなら楽にしてあげて。
せめてあのグローブは外してあげてよ・・・・・・・。
インド聖地 ヴァーラーナシー には ガンガー(ガンジス川)のほとりに「死を待つ家」がある。
病気になったり、余命いくばくもない人達が この家で家族と共にその人生の最後を待つ。
最新の医療もない。
どっちが良いか?なんて、本当に解らない。
でも、わたしはあのカルカッタで見た家族や、聖なるガンガーのほとりで死を待つ人々の方が、日本の病院に入院している父よりよっぽど幸せに見えたは、気のせいだろうか?
4番 サンボトル・サンライトは、わたしにとって幸福と恐怖は隣り合わせということを教えてくれるボトル。
イエロー/ゴールドは ガンガーの朝焼けの色。
そして、死者を包む布の色。
2010年5月1日(土)
参考文献: 「オーラソーマ
〜奇跡のカラーヒーリング」 和尚エンタープライズジャパン
「オーラソーマ・ヒーリング」 Voice
「オーラソーマ イクイリブリアム情報カード」 モデラート
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